学校発祥の地

2012年12月発行  小浜市松永地区の太興寺に栄松寺というお寺があります。 いまは無住のお寺ですが、 潜り戸のような山門が由緒を感じさせるお寺です。 ほとんど知られていませんが、 このお寺こそ松永小の前身である啓心校発祥の地です。 明治六年(一八七三年)、松永地区八ヶ村の公立学校として発足しました。 明治十四年に酒蔵を購入して新校舎ができるまでの八年間、 松永地区の学校でした […]

秋の庭と登美子

2012年11月発行 今年の夏は格別に暑かった。熱帯夜、眠れないままに外に出て、夜空にむかって 水をまいたこともあった。秋のお彼岸を過ぎ、朝夕の冷気にふれて、季節のめぐ りの中に生かされていることを確かに感じる。そして紅葉がうつくしい年になる と聞くと嬉しい。  山川登美子記念館の中庭に大きいドウダンツツジがある。扇を半分広げたよう な形で、人の背丈よりも高い赤灯台。一昨年の晩 […]

野菊

2012年10月発行  北からの冷たい風に耐えながら凛として咲く、白や薄紫のかれんな野菊。  野菊と言えば、遠い昔にみた木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」と いう映画を思い出します。主人公の政夫が淡い恋心を抱く、従姉の民子に ついて次のような表現があります。「民子は野菊のような児であった。田舎 風であるが決して粗野でなく、可憐で優しくて品格があり、清楚な白色の 野菊のようだ。 […]

彼岸の原型

2012年9月発行 彼岸とは、シルクロードを経て伝わった、死後の楽園を願う考え方に基づいている。 先日私は六本木ヒルズで「古代エジプト展」を観た。 大英博物館(イギリス)から運ばれた、全三十七メートルの 世界最長の『死者の書』が日本初公開だったからだ。 それは今から三千年ほど前に、冥福を祈り死者とともに埋葬された葬祭文書。 植物に絵と文字で、死後の楽園に行くまでの道しるべが描か […]

若州良民伝 巻一より ~上野木村三郎五郎~ 

2012年8月発行 遠敷上中郡上野木村の三郎五郎という百姓は持っている田地高は僅か六斗、 大変貧しかったので常に人に雇われて生業としておりました。しかし、どこへ出かけるにも 老母に告げ、帰りには何か母の喜ぶ菓子を買ってきました。妻も夫のそのような姿をみて、 自分も外へ出たときは何か義母に買って帰るのが慣わしになっていました。 ところが母に買ってきた菓子を母はつい孫にやってしまう […]

山に登る

2012年7月発行 二十年ほど前の四十五歳の頃から山登りをしています。  そのきっかけは友人が「今の内に体を鍛えておかないといかんですよ」という言葉でした。  その甲斐あってか六十を過ぎた今日も大病することなく生活できることを勿体なく思っています。  山登りの利点は次のようです。 一、日常生活に変化を起こす。二、地図を見たり、天気予報に気を止めるようになる。三、充実感とささやか […]

響きあう心

こだまとは『丸ごと受け入れること』です。  かつて、私たちの周りにいてくれた大人たちは、こだましてくれた人たちでした。ころんで「痛い」といったと言ったとき、両親は「痛いね」と丸ごと受け入れて返してくれました。しかし今多くの大人たちがこだますることをしないで一方的に否定したり、励ま したりしていないでしょうか。  かつて、大人たちは人の喜びや悲しみを自分のことのように悲しめる人達 […]

一言神社

2012年6月発行  参道石段を二度上った野木ヶ岳中腹に、一言主大神の聖域は禁足地として石で囲われ、 巨石ではないが奥に巌石を置いて弊が立てられている。一段下った石垣に河原神社と三宅神社が 分祀されているが、河原神社もこの一言主と同神を祭神として上野木にある。神域右手の渓流は、 上に砂防ダムを築く急流で、出水で社地を崩落させた過去のある感じである。宮ノ下川とよばれている。  野 […]

菜の花

2012年5月発行  春うららかな南川沿いの堤防を散歩していると、菜の花の色あざやかな黄色が目に飛び込んできます。先日行われた若狭マラソンも、この菜の花にちなんで別名「菜の花マラソン」と呼ばれています。 若狭マラソンは、嶺南出身の故中川知事が福井マラソンに匹敵する大会を若狭でも開こうと呼びかけ、小浜市をはじめ当時の上中町、大飯町などが運営委員会をつくり昭和56年に置県百年を記念 […]

若狭総合公園の桜と円通寺古墳

2012年4月発行  明るい日射しと温かい風に誘われ、西津地区にある若狭総合公園に出かけた。大きく蕾が膨らんでいる桜は、この陽気が続けば一気に満開になるだろう。  開園時植え込まれた多品種の桜は、驚くべき生命力で大きく根を張っている。花見の時期にとなれば、白や薄紅色の花びらを透かして見える青空と、かぐわしい空気が心を和ませる。   入り口近くに円通寺古墳がある。平成の初め、公園 […]

和久里壬生狂言

第78回 若狭の散歩道ミニ講演会 平成24年3月18日(日) 「壬生狂言」追跡―和久里融通大念佛狂言の世界― 講師:国立舞鶴高専人文学科教授 村上 美登志 氏 講師に、国立舞鶴高専人文科学科教授、村上美登志氏を迎え、 古くから和久里地区で6年毎の子と午の年に奉納されている「和久里狂言」 京都の壬生狂言に相通じる世界をやさしく解説していただきました。 ☆講演会の内容を以下に少しだ […]

山川登美子を偲ぶ

2012年3月発行  四月十五日は若狭が生んだ明治時代の歌人山川登美子の命日です。登美子は与謝野鉄幹が主宰する文芸雑誌「明星」で、鳳晶子(後の与謝野晶子)とともに女流歌人の先頭に立って活躍しましたが、病のため二十九歳の若さでこの世を去りました。  彼女は郷里小浜の家で最期を迎え、歌に命を託するように清らかな辞世の歌を遺しました。    父君に召されていなむとこしへの春あたゝかき […]

佐久間艇長と第六潜水艇

 2012年3月発行  明治43年4月15日第六潜水艇が山口県新湊沖で遭難してから百年余の歳月が過ぎた。 佐久間艇長の出身地若狭町では毎年遭難の日に、記念碑「沈着勇断」のある広場において、佐久間艇長遺徳顕彰祭が行われている。 この式典には、若狭町の人々、地元小学校の児童、県外からの参列者や、舞鶴海上自衛隊隊員の参列もある。 隣接の佐久間記念交流会館には艇長の遺品が数多く陳列され […]

大洲城天守閣復元 「巽櫓(たつみやぐら)」復元 大きな構想

2012年2月発行 十月十八日、私は念願の四層四重の天守閣が復元された大洲城見学の機会をた前日の松山市での会合の後、特急電車で大洲駅に降り立った。車で走ると、肱川にかかる橋から四重の白亜の天守閣が、澄み切った秋の陽を浴びて小高い丘の上に光っていた。天守の両袖には重文の櫓が控え、連結式天守閣を支えていた。  数分で城に到着。市の企画調整課長に案内していただいた。直ちに急こう配の最 […]

昇り龍

2012年1月発行  昨年の干支は辛卯(かのとう)。対立・矛盾する二つのものが、お互い相手に勝とうとして争う年回りでした。これを裏付けるかのように、太平洋プレートが日本列島に潜り込もうとしてせめぎ合いの結果、千年に一回という東日本大震災が起こりました。  今年の干支は壬辰(みずのえたつ)。壬は陽の水、辰は陽の土。つまり、相剋(土剋水)で、溢れようとする水を土がせき止める年だそう […]