不思議~見えないものに支えられ~

2016年12月発行  寒くなるにつれて夜空の星が美しく見えますね。 宇宙が何でできているかを調べてみると、 われわれが知っている、 原子や陽子や中性子など目に見える(観測されている)物質は 全体の約五パーセントにすぎないそうです。 残りは未知の物質「暗黒物質(ダークマター)」が二七パーセント、 「暗黒の力(ダークエネルギー)」が六八パーセント。 暗黒は悪いという意味ではなく目 […]

薄倖の歌人大田垣蓮月のことなど

2016年11月発行 薄倖の歌人・詩人・俳人シリーズ其の弐    「薄倖の歌人大田垣蓮月のことなど」 薄倖の歌人・詩人・俳人シリーズ其の弐 「薄倖の歌人大田垣蓮月のことなど」 大田垣蓮月こと俗名・誠(のぶ)は、 江戸時代末期の寛政三年(1791)正月八日に生まれ、 明治八年(1875)十二月十日に八十四歳で亡くなっている。 その人生は、肉親の縁が極 […]

薄倖の歌人明石海人のことなど

2016年11月発行 薄倖の歌人・詩人・俳人シリーズ其の参   「薄倖の歌人明石海人のことなど」 明石海人こと野田勝太郎は、明治三十四年(1901)七月五日に、 野田浅次郎の三男として、静岡県駿東郡片浜村(現沼津市)に生まれ、 昭和十四年(1939)六月九日に三十七歳の短い生涯を閉じている。 彼は十九歳で静岡師範学校本科を卒業すると、 小学校の教職につき、二 […]

とりどりの色を尽くしてにほふ哉

2016年11月発行 とりどりの色を尽くしてにほふ哉        千種の森の秋の紅葉は  小浜藩士・山岸惟智の四男として生まれ、 藩校「順造館」に学んだ伴信友は、 国学者本居宣長没後の門人となり、 「天保の国学四大人」と称されましたが、和歌にも堪能でした。  ここに詠われている千種の森の歴史は古く、 廣嶺神社が鎮座した貞観二年(八六〇)には、 樹齢千年の古木が種々生い茂り人が […]

薄倖の歌人山川 登美子のことなど

2016年10月発行  私が教鞭を執っている公立若狭高等看護学院近くの 小浜市千種一丁目(旧遠敷郡竹原村)に 平成十九年四月、「山川登美子記念館」が開館された。 これは、登美子の生家を記念館にあてたもので、 山川家は、代々小浜藩主であった酒井家の側用人御目付役として仕えた 由緒ある家柄であり、登美子の父禎蔵も藩の要職を務め、 維新後は、第二十五国立銀行の頭取を勤めた人物である。 […]

苦悩する神 その四

2016年9月発行  若狭神宮寺は、神仏習合に関連して、二番目に古い文献に現れる寺です。 文献の内容は、神の身を離れて仏法に帰依したいというものです。 ここでは少し、神とは何かということを考察してみたいと思います。  日本には八百万の神があると言います。 一方我々は、根本的な神として天照大神を考えます。 天照大神は、伊勢神宮の祭神です。 大国主命を祭神とするのが、出雲大社です。 […]

里山の味わい

2016年8月発行  昨年の五月下旬、友人に誘われて八ヶ峰に登りました。 このコースは家族旅行村のある染ヶ谷から登るのが一般的ですが、 この時は堂本から登りました。 登り始めてすぐに写真のような切り通しが あってその情緒豊かな光景に驚いたのですが、 次から次へとこうした切り通しが十ヶ所ほどあって珍しいことでした。 道は山頂直下までなだらかで、 登山というよりもハイキング気分でし […]

鯖街道「針畑越え」の見所Ⅱ

2016年7月発行 昨年四月に日本遺産第一弾として認定された鯖街道であるが、 今ひとつ認知度が低いと新聞は報じている。(平成二十八年四月二十四日福井新聞)  一人でも多くの人が鯖街道、 中でも上根来から近江への「針畑越え」に関心を持って頂けるよう この道のことを書いてみよう。  当然のことであるが、「鯖街道」という道が存在したわけではない。 昭和四十年代半ばまでにそのような言葉 […]

柳誌「番傘」の創始者「當百」の句碑

2016年6月発行  佐久間勉は明治十二年(一八七九)九月十三日前川神社神官、 佐久間可盛とまつ野の次男として若狭町(旧三方町)北前川に生れました。 優しい性格のどちらかと言うと恥ずしがり屋でした。 体を鍛え学業に励み、 苦学の末に海軍兵学校へ進学し、 夢に向かい努力を続けました。  勉は、貧しい中でも学費を工面し、 自分を励まし支えてくれた両親に、いつか孝行をつくしたいと、い […]

若狭・小浜に根ざした「知の拠点」

2016年6月発行 鳥越山の中腹にそびえる白亜の建物。 県立大学小浜キャンパスは、「知の拠点」としてその存在感を示しています。  「小浜に大学を」とのスローガンで、官民挙げて誘致運動が始まったのは、 吹田市長の時からです。当初は私立大学に的を絞り込んでの取り組みでしたが、 資金的な面などから紆余曲折を経て、 県立大学誘致に落ち着きました。あれから二十数年が過ぎ、 小浜キャンパス […]

若狭の正倉院

2016年6月発行 平成二十六年七月にリニューアルオープンした県立若狭歴史博物館。 その前身は、昭和五十七年十月に開館した若狭歴史民俗資料館で、 建物の外観は正倉院の校倉づくりに倣っています。  歴史と文化の宝庫である若狭に、 「福井市にある県立博物館に匹敵するものを」との 当時の中川知事の思いが込められています。 しかし、県立の博物館は一県一館という規制のため、 その名称を使 […]

旧町名は語る(三)日吉区

2016年5月発行 達磨小路六十七、今町三十一。 藥師小路二十三併せて百二十一戸が明治七年日吉町となる。 達磨小路は昔そこに達磨の木像が仮屋に入れられていたこと、 藥師小路は薬師堂があったことによる町名で、 明治四年の今町地図に鵜羽小路へ抜ける狭い通りに、 薬師堂が描かれている。嘉永三年この薬師堂より出火し、 五百余戸を焼き、このとき以来薬師堂は誓願寺に預けられた由で、 さきの […]

分水嶺の走る村

2016年4月発行  松永川沿いの最後の集落、 池河内のバス停から林道が川沿いに続きます。 三キロ程で三番滝入り口です。 林道はさらに四キロ程で林道終点の尾根に到達します。  尾根に立つと、近くは松永の各集落、 遠くには国富、県立大、小浜湾まで雄大な展望が開けます。 一面にゆずりの木、いわゆるワカバの木が群生しています。 終点に整備された階段を昇り、 尾根伝いに登っていくと敦賀 […]

佐久間艇長 父母への孝養

2016年4月発行  佐久間勉は明治十二年(一八七九)九月十三日前川神社神官、 佐久間可盛とまつ野の次男として若狭町(旧三方町)北前川に生れました。 優しい性格のどちらかと言うと恥ずしがり屋でした。 体を鍛え学業に励み、 苦学の末に海軍兵学校へ進学し、 夢に向かい努力を続けました。  勉は、貧しい中でも学費を工面し、 自分を励まし支えてくれた両親に、いつか孝行をつくしたいと、い […]

若狭おばまの『へしこ』と『なれずし』

2016年3月発行  外国人が、日本で体験したいことの第一位は、 「本場のすしを食べる」ことだそうです。 今や日本のみならず世界でも愛され、ブーム化しているすしですが、 広く知られるのは、酢飯に鮪(まぐろ)の切り身をのせて握った「握りずし」で、 多くの方はその多様性と魅力についてご存じないことと思います。 そこで食文化館では、系譜(上部略図)と再現レプリカを用い、 主原料が米と […]

瑞雲飛龍

2016年2月発行  平成二十七年三月、 小浜水産高校は若狭高校との統合により、 百十九年の歴史に幕を閉じました。同時に、 シンボルであった第六代目実習船「雲龍丸」も役目を終え、 その雄姿に寂寥感を漂わせながら小浜漁港に係留されています。 雲龍という名は、中国の故事「瑞雲飛龍」に由来し、 紫の雲が湧き立ち龍がこれに乗って天空を駆け巡るという〃吉兆〃を意味しています。  小浜漁港 […]