若狭の魚

2011年12月発行  私が、東京からこの地に移り、小浜に住みはじめて十六年目になります。  はじめは、この景色、山野草の豊かなことに心惹かれていましたが、今は、多くの親しい友人が私のなによりの心の宝と思っています。 そして、絵を描く私を最もおどろかせるものは若狭の魚たちです。  まずトビ魚。その背の鮮やかな「青」に心臓が止まるかと思いました。 まるで絵の具をそのままのせたよう […]

若州良民伝-桶屋孫十郎-

2011年10月発行 ■ 若州良民伝とは・・・ 安永九年(一八六二)に発行された全四巻からなる書。若狭地方で領主が領民の中の六十余人の善行を記録したものである。 若州良民伝 巻一より ~桶屋孫十郎~  越前敦賀(若州のうち)の町に孫十郎という者がいました。桶屋に養子に行き、桶作りを修業しましたが、成長して一人前になると、実の父母に孝行したくてたまらなくなり、家業は弟子に任せ、自 […]

平家の落人集落

2011年9月発行  私の暮らす松永川の最上流の集落池河内は、幼いころ「平家の落人集落」と聞かされていた。確たる証拠があるわけではない。ただ、室町時代にあたる文治三年に平景慶(たいらのかげよし)という武将から「自分が戦の褒賞として池河内を賜った」という池河内の名主当ての文書が近世まで残されていたというのだから、平家に縁のある集落であったのは事実であろう。明治まで残されていたとい […]

アラミタマとニギミタマ

2011年9月発行  また彼岸の季節がやってきた。 彼岸といえば先祖供養。  今はほとんどの人が、病院で静かに息を引き取る。しかし薬や手術がなかった時代は、 盲腸も切って出せなかった。 のたうちまわって死んでいく人を、苦痛を伴う恐ろしい荒魂(アラミタマ)と呼んだ。 死後は荒れた魂が和らぎ、やがて和魂(ニギミタマ)になってもらうために鎮魂やご祈祷、 お祓いがされ、今の先祖供養につ […]

お盆の行事

2011年8月発行  平素は毎日の生活に追われて、亡き先祖のご供養を疎かにしがちですが、お盆を前にしてお墓の清掃をしたり、家の仏壇には先祖の精霊をお迎えして供養するための「精霊棚」を設けてお飾りをする準備をします。  古来から若狭地方のしきたりとして、八月十三日には、先祖の精霊をお迎えするために真菰を敷き、精霊が来られる仕切り「結界」となる麻幹(オガラ)に「みそはぎ・ソウメン・ […]

浪音淋しく(三)

2011年8月発行 お初(常高院)慈愛の寺へ参りましょうか ~常高寺と尾崎放哉~  俳誌「層雲」昭和五十一年六月から十月号、五十三年七月号に連載された大竹大三氏の「小浜の 放哉」が、かなり深い小浜に於ける放哉の論考として注目される。特に放哉書簡に出てくる常高寺の 和尚について常高寺過去帳、東光寺保管書類、本山妙心寺への問い合わせ等から詳しい経歴が 調べられていて教えられる。   […]

浪音淋しく(二)

2011年7月発行 お初(常高院)慈愛の寺へ参りましょうか ~常高寺と尾崎放哉~  「常高寺からはほど遠からぬところに千本格子の一画があった。人も子供もあまり見えない。ひっそりとしたたたずまいが別天地のようで、端唄かなにか習っている三味の音がこぼれるように伝わってくる。自動車がやっと通れるぐらいの狭い路である。格子の硝子戸一枚の入口に「小料理」と読める小さな表札が、どこの家にも […]

手にとって石を見た小浜城石垣見学会

2011年6月発行  過日、若狭小浜城石垣見学会が、現存城跡を境内とする小浜神社の主催で行われた。講師は京極家とゆかりの深い丸亀市から学芸員の東信男氏である。  小浜城は京極高次とお初によって、従来の後瀬山から海辺の現在地に移された。現存する城址は全国的に数少ない「水城」といわれ、海に浮かぶような天守閣を仰ぐことが出来た優美な景観のお城であったという。  東学芸員は石垣の外周を […]

江~姫たちの戦国~お初の幸せの道

2011年5月発行  小浜市浅間の常高寺御住職の念願であった、寺とお初の墓所を結ぶ安全な遊歩道が完成した。「お初しあわせの道」と名付けられた遊歩道は、同寺本堂横のしだれ桜と椿の間を抜けて、後瀬山トンネルの坑口の上を通る。巾約一メートル全長八十二メートル。手すりとネットに守られ明るく、階段の高さも約十センチと老人にも楽に登り下り出来るよう配慮されている。危険の多い線路(JR)を渡 […]

お初(常高院)の見た海

2011年4月発行  小浜市街地西部の浅間地区にある常高寺の山門からは、今でも家屋や岸壁の向こうに、青く澄んだ小浜湾の海が見えます。岸壁もなく、おそらく周囲は家屋もまばらであった江戸時代初期のころ、この地に立ったお初の目には、今以上にあざやかに海が輝き、潮騒の音が耳をかすめ、海の香りが漂ったことでしょう。  お初の目に映っていた小浜の海とは、いったいどのようなものだったのでしょ […]

母上様 -佐久間艇長からの手紙-

2011年3月発行 「この金子は些々ながら 魚又は他のじやう物をかい 父上の酒のさかなにし また旨きものを買ひ母上もめしあがられたし、ためておく事はなりません、かならず ごちそう用になされませ」  佐久間艇長は毎週のように、父母に手紙を書き、二円、五円と同封して送りました。又、常に文末には、父母の健康を祈る言葉が添えられていました。「追々さむくあいなり候へば 御からだだいいち  […]

浪音淋しく(一)

2011年2月発行 お初(常高院)慈愛の寺へ参りましょうか ~常高寺と尾崎放哉~ 小浜常高寺の尾崎放哉句碑   浪音淋しく三味やめさせて居る  放哉 句と、   雪の戸をあけてしめた女の顔  同 をとり上げ「小浜を親しく訪れてこの二句が、小浜では一つの山場をなす作であり、放哉漂泊遍歴のすべてを通じても、注目すべき作である」と発言し鑑賞されているのは上田都史氏(俳人、文芸家)であ […]

「御食国若狭」と「膳氏(かしわでし)」

 最近、「御食国若狭(みけつくにわかさ)」という言葉がよく聞かれ、また用いられるようになった。若狭人である私は、嬉しいことと思っている。「御食国」とは、天皇のお食料を献上する国のことである。しかし、若狭を御食国と書いた古い記録は、私の知る限りまったく存在していなかった。  ところが、昭和四五年一月に歴史学者の狩野久先生が、「御食国と膳氏(かしわでし)―志摩と若狭―」と題する論文 […]