水上勉の文学碑建設

2018年5月発行

仏教は多分六世紀の初めに、百済から海を越えてここ若狭から都にむかったのだと思われます。

若狭にはお釈迦様のお悟りの体験を最も基礎に据えた仏教の教えが息づいています。

今から五十年ほど前に、郷土史家永江秀雄さんと一緒に天徳寺を訪れた水上勉は、

「枝の混んだ杉、檜の木もれ陽の中で、静かに正座しておられる石仏をみていると、暗い奥山だけに幽邃である。

 天徳寺はまた湧き水で名高い水の森があり、この石仏群のしじまへ水音はきこえてくる。

 若狭はやはり仏の国だと思う。」

と一九六八年に刊行された紀行文「若狭路」にしたためています。

大師堂を取り囲むように鎮座し、四国八十八カ所参りと同じ功徳があるとされる

八十八体の石仏を見て感じられたのです。

仏様は見るものではなく拝むもの、若狭のお寺は信仰でもっているのです。

石仏の近くに、境内を訪れた水上がしたためた右の一文が御影石に刻まれ

平成二十九年に建立されました。

ここは現在も神仏とその教えが生きています。

この思いを他の人にも伝え、聖域として守っていきたいものです。

皆さん、新緑の頃にぜひお参りください。
          

宝篋山天徳寺 湯川真乗