葛の産地「熊川」ってどんな所!?
◆京は遠くとも十八里・・・鯖街道の重要拠点「熊川宿」◆
熊川は、古い港町小浜から琵琶湖畔の近江今津へ通じる若狭街道(別名 鯖街道)の宿場町でした。北陸や山陰の物資輸送経路としての役割だけでなく、京と若狭、さらには北陸地方の文化交流の接点ともいうべき重要拠点でした。街道を歩くと街並みのいたる所に当時の宿場町の面影を見ることができます。
民家の軒下を流れる「前川」には昔と変わらない澄んだきれいな水が流れています。それは、住んでいる人達が一丸となって街並みや文化の保全に取り組んできたからです。町のいたる所にある伝統的な建造物を眺めながらぶらりと散策したり、地元の語り部の方の話に耳を傾けたりと、ゆったりじっくり楽しみたくなる・・・そんな町です。
「熊川葛」ってどんな葛!?
◆葛といえば吉野だけじゃないんです!熊川葛の豆知識◆
熊川葛は、若狭湾に注ぐ北川の上流(近江と若狭の国境辺り)に自生する、蔓の長さ10m以上にもなる葛の根っこを原料とし、その中に含まれる良質の葛澱粉を清流で繰り返しさらすことで不純物を取り除き、寒風で自然乾燥させることで完成されます。(下図参照)
葛と言うと吉野が有名ですが・・・熊川の葛については、江戸時代の京都の儒学者頼山陽が、故郷の母に病気見舞いとして熊川の葛を送り手紙にこう記しています。
「この度、熊川葛粉を上げ申し候。行平(ゆきひら)にてよきほどにとき、生姜汁を沢山に入れて煮立て、手を停めずねり候て、色スッパリ変わり侯時、火よりおろし、少しづつはさみ切り、まるめて、あたたかなる内に召し上がられ然るべしと存じ奉り候。 又々あとより上げ申すべく侯。熊川は吉野よりよほど上品にて、調理の功これあり候。潤肺の能もこれあり候間、然るべく候。」
山陽が吉野より吉野よりよほど上品にてと評した熊川葛は、現在様々な理由により、ただ一軒のみが伝統的な生産を守り続けています。今では 幻の葛となってしまい市場に出回らなくなった事も、熊川葛の認知度を低くしてしまった原因なのかもしれませんね。
熊川葛振興会 くず生産の奮闘
「くず」の原料である葛根堀は 厳冬期におこなわれます。
寒い仲、急傾斜地での葛根堀りは大変な重労働です。
100kgのくず根から取れる「くず」はわずか3~5kg。
「くず」はかつて「白いむ金」と呼ばれ珍重されていました。
資料提供 福井県嶺南振興局 林業水産部 林業木材活用課