古地図にみる侍屋敷の変遷

2013年11月発行

矢部岩十郎の藩宅(梅田雲濱先生の生家:梅田雲濱写真小傳から)

 小浜城下の侍屋敷は、城の北側に開かれた雲浜と

南側に広がる竹原にありました。

享保二年(一七一七)の家中之図では、

山川登美子の本家筋にあたる山川武左衛門の屋敷が、

四谷の県若狭健康福祉センター附近にあったことがわかります。

時代が下り、文政7年(一八二四)の絵図では武左衛門の屋敷は、

江口善左衛門に代わっており、転居先は定かでは有りません。 

梅田雲濱の父矢部岩十郎の家は、

千種の森の近く千代町(千種二丁目)に表示があります。

岩十郎は、文政八年(一八二五)病気のため隠居したので、

天保二年(一八三一)には他人名義(名字が判読しずらい)になっています。

当時の屋敷は役職により貸し与えられた藩宅で、

個人の所有ではなく世代交代があれば取って代わられました。 

  筆頭家老酒井伊織家をはじめ、三浦家、深栖家、都筑家、武久家など

家老の場合は世襲がみられます。

ターヘルアナトミア(原書)を、杉田玄白らが手に入れることに尽力した

小浜藩の家老、岡新左衛門の屋敷も

二番丁勝間小路(千種二丁目)の通りに面して存在します。 

藩士の生活に思いを馳せながら、

絵図の道筋を現在の地図に置き換えてみると、

子供のころとは相当変わっていますが、

そこかしこに往時の痕跡が残っていて興味が尽きません。

小浜市郷土研究会会員 網本 恒治郎