2019年5月発行
王の舞は、鼻高面をつけ鉾を持って舞う芸能で、
現在、嶺南地方の十六か所十七神社の祭りで演じられています。
若狭地方では「オノマイ」とか「オノマイさん」などと呼ばれています。
王の舞は、獅子舞や田楽などとともに、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、
奈良や京の都の祭礼をにぎわしていた芸能です。
平安末期、後白河院の意向により作成されたという
『年中行事絵巻』(原本は焼失)の祇園御霊会や稲荷祭の場面の中に、
王の舞が描かれています。また絵巻には、
王の舞とともに祭礼をにぎわす芸能として獅子舞・田楽・細男・巫女なども描かれています。
都に近い若狭には、荘園の鎮守社などの祭礼に、
そうした都の祭礼をまねたものがいちはやく導入されたことでしょう。
王の舞は奈良や京都ではすでにみられなくなった中世の芸能ですが、
八百年の時を超えて、若狭では今なお生きた形で伝えられており
非常に貴重な民俗芸能として注目されています。
そのひとつ、内外海半島の付け根付近に位置し、
小浜湾に面する小さな集落の小浜市若狭では、
毎年五月五日の椎村神社の祭り(県指定無形民俗文化財)に、
獅子舞と王の舞が演じられています。
神社と御旅所の神輿の前で演じられる獅子舞と王の舞は、
いずれも二分ほどの簡素な舞いですが、
使用する獅子頭と王の舞面はともに室町時代の作と思われるもので、
中世以来の伝統が感じられます。
京の祭礼のミニチュア版のような祭りが、
わずか十二戸ほどの小さな集落で守られてきたのです。
若狭歴史博物館 垣東敏博
令和元年5月5日11時