2017年7月発行
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島根半島の北、
四十から八十キロメートルの日本海に点在する隠岐諸島は、
主に四つの島からなっています。
そのうちの一番大きな島(島後)の、都万地区の湾沿いに広がる
屋那(やな)の松原(日本の白砂青松百選)の案内板(写真)に、
八百比丘尼について、次のように記されています。
『屋那の松原』
この松は、「八百比丘尼」が一夜にして植えようとしましたが、
ある男がニワトリの鳴き声を真似したところ、
あわてて立ち去ったと伝えられています。
(弘法大師が夜明けを知らせる鶏の鳴き声を聞き、
作業を止め下山されたと三方石観音に伝わる話と、
あまりにもそっくりで驚きです。)
『八百比丘尼』
ある女性が人魚の肉を食べ不老不死となったため、
各地で病気の人を直し、貧しい人を助け、植栽をしながら旅をして、
八百歳まで生きました。
隠岐総社の玉若酢命神社を参詣した際、
八百年経ったらまた来ると約束して植えた杉は、
「八百杉」といわれ(昭和四年国の天然記念物に指定)
現在も大きく枝を張っています。
地元では、この女性は若狭の国から来たと言い伝えられています。
今の時代、隠岐の島へは飛行機やフェリーで簡単に行くことが出来ますが、
当時はどのようにして渡ったのか、
そしてここから何処へ行かれたのか。
宝徳元年(一四四九)七月、諸国巡遊の旅を止め
若狭へ帰られたとのことですが、ロマンが広がります。
小浜市郷土研究会 会員 網本恒治郎