2015年6月発行
八幡宮の前をまっすぐ海の方へ伸びているのが八幡小路で、
八幡宮の参道である。
今町と風呂小路との辻(現在若狭ふれあいセンターの辻)まで。
神社前の東側が東宮前町、西側が西宮前町。
東宮前町の海側で堀川から八幡小路に抜ける道が中小路である。
中小路が、南北朝期の文献に名を見る小浜旧町名で、
最も古い例とされている。鍛冶、針田姓の多い鍛冶職の町であったらしく、
針田姓は現存しているようである。
西宮前町は、元和元年頃(京極忠高時代)には馬場町とよばれたことが
「拾椎雑話」にあり、武田時代の馬場か流鏑馬場であったかと考察されている。
西へ進むと小浜小学校に突き当たる。
明治十年、空印寺敷地内に設置された協合小学校が、
同二十四年、習長小学校を合併して小浜小学校となるのであるが、
この空印寺敷地あたりが後瀬山城の武田居館跡で、
当時の土塁の一部は現存する。後瀬山城は、
大永二年 (一五二二)武田元光によってつくられ、
同時に西麓にあった日蓮宗長源寺を酒井区の現在地へ移し、
跡地に居館を建てた。空印寺は変遷の後、酒井家菩提寺となり、
明治四年には境内に敦賀県庁が置かれたりした。
空印寺山門前に八百比丘尼入定窟がある。
句誌「ほととぎす」同人 森田 昇