歓喜の心の話

たとえば散歩のとき袋を持ち歩いてゴミをひろう。

そして家に帰ってから、えらい、よくやった、と自分をほめてあげる。

するとささやかな幸福感に満たされる。

また一日の終わりにその日一日をふり返り、

今日もたくさんいいことをしたと自分をほめてあげる。

すると歓喜の心に満たされて眠ることができる。

これは決して慢心に属する心ではない。

ところが「こんなところにゴミを捨てたのは誰だ」などと

腹を立てたりすると、この幸福感を味わうことはできない。

「ゴミを捨ててくれてありがとう。おかげでゴミを拾うことができました」と

感謝するぐらいでないと、歓喜の心は湧いてこない。

怒りの心と歓喜の心は両立しないのである。

この歓喜の心を体験すると、うらみ、つらみ、にくしみ、の世界には戻れなくなる。

いちばんほめてあげるべきは自分自身である。

自分が自分をほめないで誰がほめてくれるだろう。

探せば長所は山ほどあるのだから、

うんと自分をほめてあげよう。

自分の生き方を肯定し、たくさんほめてあげよう。

この世に生を受けたものにだめなものなどないのだから、

もっともっと自分をほめてあげよう。そうすれば歓喜の世界が開けてくる。

                       青井山 瑞雲院閑栖 杉本玄海