五年に一度、和牛のオリンピックといわれる
「全国和牛能力共進会」が、
令和四年十月鹿児島県で開催され、
県内から初めて坂井市丸岡町と池田町で育てられた
若狭牛二頭が出場し大きな話題となりました。
この陰には、
県嶺南牧場の優良肉用牛生産のための
繁殖用雌牛の育成・譲渡や受精卵供給など
長年にわたるたゆまぬ努力があります。
米中心の本県農業に畜産を取り入れ、
足腰の強い農業経営を実現するため、肉牛生産の拠点として、
昭和五十年に開設されたのが嶺南牧場です。
若狭地方で古くから飼育されていた黒毛和種は、
血統や肉質の良さから
松阪牛や近江牛と名前を変えて市場に出されていました。
嶺南牧場開設を機に、
堂々と「若狭牛」と名乗り売り出したい県の方針に、
嶺北の飼育農家から「なぜ若狭牛なのか」との異論が寄せられました。
昭和六十一年若狭牛流通推進協議会が設立され、
県内の生産者や流通・販売の関係団体の協議により、
晴れて若狭牛を本県の統一ブランドとすることが決まったのです。
今では、嶺北をはじめ県下一円のレストランや精肉店の店頭に、
若狭牛認証店の幟がはためいています。
北陸新幹線県内開業を控え、
今回の共進会出場で若狭牛の魅力が全国発信され、
知名度が高まり農家の生産意欲の向上と相まって、
ふくいのブランド牛としての期待が一層膨らみます。
若狭の語り部 網本恒治郎