大塩城址

大塩城址

 小浜市の文化財に関係していた頃、教育委員の大森宏さんに随行して教わった、

  口田縄集落後方の大光寺山にある城址である。

 海抜134mほどの小山であるが、南川渓谷を一望できる戦略要地で、

  山麓に城主大塩氏の菩提寺大光寺がある。 

 付近には、館、館ノ口といった地名も残る。

 「口名田村誌」は、寛政6年(1465)若狭守護武田氏被官大塩吉信の築城と、

  文明元年(1469)大光寺開基を記しており、

  大光寺からの径路が城の大手とみられる。

 山上には、前後二郭を土塁で囲む全長約100m、幅約50mの主郭台地があり、

  その南後方に大きく東西に落ち込む堀切があって、

  土橋が五つに堀切を区画する特異な障子堀に類似する様相を示し、

  関東に多い障子堀という通説に一石を投じるものとして注目された。

 大森氏の著書「戦国の若狭」にその図があるので転載させて頂く。

 大塩氏は藤原姓で、もとは播州印南郡大塩庄にかかわった氏族らしい。

句誌「ほととぎす」同人 森田 昇