2017年11月発行
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若狭比古神が神の身を離れて仏法に帰依したいと苦悩していたことが
古い文献に見られます。
その結果、神護寺が建てられ若狭神宮寺となりました。
そこで、この神は何かということを前回で触れました。
そして、それぞれの地域で、
それぞれに神は存在していたのではないかと書きました。
原始宗教の起源説的にみれば、
トーテミズムが似通ったものではないかと推論したのでした。
前回にも書きましたが、日本人には大本の神は、大照大神と思いがちです。
しかし、中村生雄は『日本の神と王権』で
「人間の体からは、独立し時に応じてそれに附着する〈たましい〉のはたらきを、
古代日本人の信仰の核心部分に見出したのは、
もちろん折口信夫であった。そして、
彼の〈たましい〉論に一貫する視点は何かと言えば、
このような附着する〈たましい〉のはたらきそのもののなかに、
日本の神の発生という問題を解く鍵がひそんでいる」
「折口の〈たましい〉論によってもっとくっきりと映し出されたのは、
古代日本人の生そのものでも死そのものでもなく、
生と死のあわいにゆらめく彼らのいのちのありようだった」と書いています。
そして、この〈たましい〉のひとつとして折口は「天皇霊」を挙げています。
「天皇霊」は先帝から新帝へと移し換えられるものであるともいっています。
人が存在しないところに神も存在しない。
神の存在は即ち人の存在でもある。
こうみるとき、神は並列的に存在するともいえます。
苦悩する神は、中国でもみられますが、
初期において苦悩する神は、中央でなく地方でみられるのもおもしろいところです。
これも、それぞれが地域の状況に応じた神として存在していたことの
証ともいえるのではないでしょうか。
若狭文学会会員 鈴木 治
【 中村 生雄(なかむら いくお、一九四六~二〇一〇) 民俗学者、文化学者。】