2017年4月発行
『解体新書』を刊行し、我が国の蘭学・医学の進歩に大きく貢献した杉田玄白が、
文化十四年(一八一七)四月八十五歳で
『医事は自然に如かず』の書(人間の自然治癒力には医学もかなわない)を残して
この世を去って、今年は二百年の節目の年です。
後世に蘭学の始まりを正しく伝えたいと、八十三歳で筆を執った
『蘭学事始』には、オランダの解剖書『ターヘルアナトミア』に出会って以来、
未知の世界への挑戦や蘭学発展の喜び、
将来の日本医学への貢献などについて次のように記しています。
「まるで櫓も舵もない船が大海に乗り出したように、
ぼうっとして寄りつくところもなかったが、いまやるべきことを精一杯やる。
その心がパイオニアたる人間に必要なのだ。
物事を初めて開拓するときは、
後世の非難に気後れするようでは一歩も進まない。
始めの者は人を制し、遅れる者は人に制せられる。」
また、蘭学が世の中に発展していく様子については、
「一滴の油を池に落とすとやがて池全体にまで広がるように、
自分と仲間の頑張りがこの道を開くことになれば、
百年のち千年のちにはこの国の医者たちは真の医術を身につけ、
人々を病から救えることになる。
そのような未来に思いを馳せると、手足が小躍りし、居ても立ってもいられない。」
と喜びを述べています。終わりには文化十二年(一八一五)は、
日光二荒(ふたら)の山の大御神(徳川家康)の二百年忌に当たることから、
「家康公が天下統一をなされ、徳川治世太平のご恩沢があればこそ、
私と蘭学が今日あるのです。」
と感謝の言葉で結んでいます。
歴史は単なる記録ではなく、歴史を学ぶことは
日々の生き方を学ぶことと言われるように、
私たちも大いに玄白先生の生きざまを学びたいものです。
小浜市郷土研究会 会員 網本 恒治郎