2016年4月発行
佐久間勉は明治十二年(一八七九)九月十三日前川神社神官、
佐久間可盛とまつ野の次男として若狭町(旧三方町)北前川に生れました。
優しい性格のどちらかと言うと恥ずしがり屋でした。
体を鍛え学業に励み、
苦学の末に海軍兵学校へ進学し、
夢に向かい努力を続けました。
勉は、貧しい中でも学費を工面し、
自分を励まし支えてくれた両親に、いつか孝行をつくしたいと、いつも考えていました。
繁忙を極める状況の中にあっても、
両親には絶えず手紙を送り、その中にはいつもお金が添えられていました。
特に、忙しい勤務のかたわら、メモのように走り書きした次の手紙は、
短い言葉の中にも、親を思う勉の真情が込められており、胸を打たれます。
「この金子 些々ながら 魚又は他のじやう物をかひ
父上の酒のさかなにし また旨きものを買ひ
母上 もめしあがられたし、ためておく事はなりません
かならずごちそう用になされませ
九日 勉 母 上 様」
両親・恩師・親友への音信は絶えることなく続きました。
そうした手紙は数十通にもおよびました。
その中には、父母をねぎらい旧師や後輩を思い、
報恩の念や厚い友情をしのばせるものが多かったようです。
このように優しい人だからこそ、
真の勇気ある、沈着勇断なる行動ができたのではないでしょうか。
佐久間艇長伝記編集委員 山口容子