
人口がカウントされてより、
三万八千人を超えることが無かった小浜市の人口が、
二万八千人になっても寺の数はさほど変わりません。
無住寺を含め、現在百三十三の寺が存在します。
寺の多い原因の一つは、小浜が日本海側にあり、
良港であったのと、奈良京都に最も近くに位置した事です。
京の兵火を避けるためとの説もありますが、どうでしょうか。
良港で船の往来が多かったことは、
一四〇八年小浜の古津に生きた象を積んだ南蛮船がやって来たことで判ります。
突然やって来たのでは無く、
三代将軍足利義満とジャワ国王との約束だったようです。
残念なことに、象が着いた年に象を見ること無く、
義満は死去しています。象が都に向かっている頃、
係留中の南蛮船が荒天により壊れました。
二ヶ月後に修理をし帰国したと記録されています。
地元の船大工による修繕であったとすれば、
高い技術があり、小浜が国際都市であったと言ってもよいでしょう。
この一例からして、国内での交易が推測できますし、
船で儲け両替で稼ぐそういった商人が多く住んで居ても不思議でありません。
彼らが得た利益は、寺に寄進されました。
(治游)


