御食国若狭(みけつくにわかさ)

若狭・近江・紀伊・淡路・伊勢・志摩の五国は、

古代において毎月「供御くごの異味(天皇の食物たる珍味)」を

伝統的に貢進する国でした。

『東大寺要録』には、聖武太上天皇が亡くなってから三七日に当たる日に、

娘の孝謙天皇から「聖武の冥福のために供御の貢進を停止する」と、

勅が出されています。聖武亡き後のことですから、

天皇への珍味は植物ではなく魚介類や肉類、

つまり生き物であったことが推察できます。

奈良の都(藤原京・平城京)からは、

にえ(天皇への山野河海の貢納物)を貢進していた木簡が出土しています。

発掘資料では二十八国の贄木簡が出土しており、

平安時代の『延喜式えんぎしき』(法令書)には、

贄を貢進する国が四十か国以上あります。

このことから、

贄を貢進する国が御食国に相応するわけでないことが分かります。

御食国の特性として、志摩・淡路、若狭のように、

古代においていずれも一国二郡の小国で、

可耕地に恵まれない小国が多いのです(若狭は、遠敷・三方郡)。

つまり、御食国は、海の幸に恵まれていたことで存在し得たのです。

『万葉集』には、御食国として淡路や伊勢・志摩が詠まれています。

同じ条件下にある五国は、いずれも御食国と言えます。

さらに、若狭に関わることでは、

古墳時代の首長(王)が かしわで 氏であることや、

平安時代初期のこととして、宮中の内膳司ないぜんし(長官)に膳氏から改姓した

高橋氏が任ぜられています。

若狭は、古墳時代には大王家に、

奈良・平安時代には天皇家に海産物を貢進することで、

宮中と深く関わっていたのです。

現在、福井県の特産品として、

若狭カレイ・福井梅・越前蟹などが宮内庁に献上されています。

性格はまったく違いますが、その遺制(名残り)でしょうか。

              関西大学 講師 博士(文学) 入江文敏