
戦国時代の女性たちは、
姿どころか名前もほとんどわからない人が大半ですが、
常高院の侍女たちについては、
たくさんの情報が残されていて、
個性的な魅力ある女性たちであったことがわかります。
筆頭侍女の「小少将」は、一番の古参で控えめな女性だったようです。
次席侍女は右筆担当で猫好きの「新太夫」で、
彼女は将軍徳川家光の乳母として有名な春日局と仲良しでした。
服飾担当の「たき」、かんざし・耳飾り・化粧担当の「しも」、
裁縫担当の「ちゃほ」のほか、「こさいしょう」、
「楊琳」、カラス大好きな「祖旭」が、
常高院の七人の侍女としてよく知られています。
彼女たちは、常高寺の寺領確保に奔走し、
大名の京極家と酒井家と付き合いをし、
常高院のための尼寺「永昌院」を今の「大師湯」がある辺りに建立するなど、
常高院逝去後も侍女として職務を全うしました。
主亡き後、尼となった筆頭侍女の「小少将」は、
戦のない平和な世になって小浜に暮らして極楽だと語ったといいます。
若狭小浜は、常高院とともに戦乱を生き抜いた侍女たちにとっても、
最後に行き着いた幸せな場所であったのです。
福井県立若狭歴史博物館学芸員 有馬香織