
西田梅(現在の福井梅)の歴史は古く、
その発祥は江戸時代の天保年間(一八三〇~一八四三)にさかのぼります。
明治二十年代ごろ、先人の努力によって原木の品種改良が進められ、
気候・土壌に合った品種として、
現在の福井梅のブランドである「紅映」と「剣先」が誕生しました。
(近年になってさらに品種改良が進められ
「新平太夫]「福太夫」の二品種も栽培されています)
今や日本海側で最大の生産量を誇る梅として、
さらに肉厚で種子の小さい優良多産品種として全国に販路が広がり、
多くの人に愛されています。
言うまでもなく、今では輸送手段が発達し瞬く間に配送されますが、
鉄道開設前の明治大正時代には梅の収穫や出荷には
舟による湖上運送に頼らざるをえませんでした。
その舟を係留しておく茅葺の舟小屋が、
福井梅や三方五湖の歴史を語るうえで欠かせない貴重な地域資源として、
今でも地元有志で修復作業を繰り返しながら三方湖畔に大切に保管されています。
近年は観光スポットとしても注目を集めています。
また当時の名残をしのぶ「梅運び歌」(一番から十番まで)が
今でも歌い継がれています。ここでは一番のみ記します。
アー 三方五湖を ヨオーヨエー お舟で行けば
アー ドウシタエードウシタエー(掛け声)
アー 梅の香りで 櫓を止める
アー ヤレー ヨオーヨエー 香りで梅の(掛け声を続ける)
アー 梅の香りで 櫓を止める
アー チョイ チョイ チョイ チョイ(掛け声)
【参考文献】『西田村誌』『三方町史』『西田梅の発祥―伊良積の歴史―』
若狭町 田井 梅農家 田辺長生
