2014年2月発行
小浜市は、「神仏習合」で世界遺産登録を目指しました。結果は出ませんでしたが、
神宮寺を中心に地域と文化をその対象とするものだったようです。
ただ、神仏習合の形態そのものの難しさがあると思われます。
神仏習合の形態は、時代とともに異なりがあります。
末木文美士は、『日本宗教史』で
①神は迷える存在であり、仏の救済を必要とする
②神が仏教を守護する
③仏教の影響下に新しい神が考えられる
④神は実は仏が衆生救済のために姿を変えて現れたもの、
という形態で論じています。
①②は奈良時代で、③④は平安時代になってから発展したといいます。
若狭神宮寺は、①②の時代のもので、神身離脱を願う神々として古文書に現れます。
神身離脱を願う神々の最も古い記述(『家伝下巻 武智麻呂伝』)は、
霊亀元年(七一五)越前気比神宮に関するものです。
若狭神宮寺に関するものは、『類従国史後編』にあり、
二番目に古い史料として養老年中(七一七から七二三)のこととされています。
いずれも、神である身に苦悩し、仏教に帰依したいと言います。
ただ、悩みの原因は同じでないようです。
また本地垂迹は、神仏習合の形態としては、最も新しいもので、④になります。
若狭神宮寺は、そうした歴史の中にあります。
そのような地域と文化として、現地では雰囲気を味わっていただきたいものです。
若狭文学会会員 鈴木 治