室町時代の若狭守護職武田氏の五代目元光により、
後瀬山山麓に再興された発心寺。静寂に包まれた山門をくぐり、
本堂へ向かう参道の紅梅の古木が、今年も馥郁たる香りを漂わせています。
元光は、京都の公家や文化人と深い親交があり、
和歌や書道などの華やかな文化・文芸活動は、若狭の文化遺産として受け継がれています。
公家の中納言飛鳥井栄雅を通じて、後柏原天皇に発心寺の紅梅を手折って献上したところ、
待人の手折の梅は若狭なる 後瀬の花の色し古計禮波
と、御製を賜ったことから、綸旨梅の名前が付いたと伝わります。
江戸時代後期の国学者・若狭小浜藩士の伴信友の歌にも、
伏原に世をふる寺の紅梅は今も昔の香ににほいつつ
と詠まれています。
若狭の語り部・網本恒治郎