小浜藩医 杉田玄白とその子、その孫

小浜藩お抱えの医師であった杉田玄白は、

近代医学の始まりを告げる『解体新書』や

その蘭学(医学)が開けていく困難な歩みを書いた自伝

『蘭学事始』で有名な歴史上の人物です。

杉田家は玄白の祖父が小浜藩に召抱えられ、

代々小浜藩医を勤めましたが、

玄白の後も息子の立卿は『眼科新書』を著し(近代)眼科を開拓し、

孫の成卿は医師の倫理を説く

ドイツ・ベルリン大学教授フーフェランドの

『医戒』を翻訳した語学の天才で、

浦賀来航のペリー提督が持参した大統領の国書も翻訳しています。

親子孫の三人はそれぞれの功績で、

将軍の御目見えを許されています。

幕臣ではなく藩士(医)で三代にわたる御目見えは杉田家だけで、

小浜藩の人材育成の素晴らしさを伝えています。

       

                      小浜古文書の会  中島嘉文