若狭しおの道(4)

 

奈良・平安時代の国家は、

「律令」という法に基づいて統治しました(律令国家)。

農民(公民)は、戸に編成されてさまざまな税が課せられていました。

律令による税は、

(米)・よう(布など)・調ちょう(特産物)という物で納める税と、

雑徭ぞうよう仕丁しちょう・兵役などの力役に大別されます。

ここでは、各地の特産物を政権中枢部に納める義務が課せられていた

「調」(ちょう)についてお話しします。

若狭の場合(正丁せいてい=二十一~六十歳の男子)、

塩三斗(一斗二升)を食料自弁のうえ国の役人に引率されて、

税として中央政府へ納める義務がありました(女子の負担は、租のみ)。

この調は、律令国家の政府にとって財源の根本でした。

この時代の製塩遺跡の代表が船岡遺跡(おおい町)で、

量産体制が敷かれていることから、

国営工場の体をなしていたようです。

船岡遺跡は、奈良時代の日本を代表する大規模な製塩遺跡で、

全国に周知された著名な遺跡です。

町では、遺跡の横に史料館を建設し、

現地には製塩作業のジオラマや旧炉跡を明示するなどして、

遺跡を顕彰しています。

                                           関西大学 講師 博士(文学) 入江文敏