若狭全域で製塩土器が出土する遺跡は、
生産遺跡と律令期の役所や寺院などの消費遺跡を中心に、
七〇か所以上確認されています。
製塩遺跡は、古墳時代の浜禰(はまね)遺跡・宮留遺跡(おおい町大島)、岡津(おこづ)遺跡(小浜市岡津)、奈良時代の船岡遺跡(おおい町本郷)
などが、
若狭を代表する遺跡です。
古墳時代・律令期の若狭で生産された塩は、
若狭で需要する量をはるかに超えています。
古墳時代前期(四世紀後半)の土器製塩導入期から後期前半(六世紀前半)
までは、
大阪湾南岸地帯(大阪府淡(たん)輪(のわ))と連動して
製塩土器・炉の形態変化をとげていきます。
このことは、操業当初から倭王権(大和政権)に塩を搬出する目的で、
まず浜禰(はまね)遺跡に技術移入がなされ、
若狭各地で増産させていったことがわかります。
関西大学 講師 博士(文学) 入江文敏