酒井忠勝と紫石硯   若州宮川産「鳳足石硯」(二)

譜代大名酒井家小浜藩の初代藩主酒井忠勝は、

武蔵(むさし)川越(かわごえ)からの転封の翌年、

寛永十二年(一六三五)に次のような指示を国元の家老に与えています。

遠敷郡宮川村の山で採れる硯になるよい紫石は、

上方でも求める人が多いようなので、

法度(はっと)を出してしっかり管理するようにと。

また、その二年後の書下(かきくだし)(書状)では、

良質の石を京都の日本一の職人に念を入れて()らせて、

中でも特によく出来たものを

()水尾(みずのお)院(上皇)と国母(こくも)(皇太后・東福門(とうふくもん)院)に贈りたいと述べています。

この後、後水尾院が実際に贈られた硯を愛用すると、

忠勝は若州宮川産の硯を将軍や老中などへの贈答品とし、

また京都の公家たちもこの硯を所望(しょもう)しました。

大老酒井忠勝による硯の贈答は、

()()事件などで緊張する朝幕関係を和らげる役目を果たすとともに、

宮川産硯のブランド化をもたらしました。

小浜古文書の会  中島嘉文