福井梅、晴れの土俵入り

 ~大相撲優勝力士へ福井梅贈呈・逸話~

 今年も梅の季節がやってきました。

梅と言えば、大相撲優勝力士へ福井県知事賞として、

福井梅が贈呈されたことを思い出します。

今でこそ福井梅は、全国第三位の生産量を誇っていますが、

昭和五十年代頃は和歌山の南高梅などに比べ、

今一つマイナーな存在でした。優勝力士への表彰スポンサーは、

有名な企業・団体ばかりで、

後発の小さな県を相撲協会が相手にしてくれるのか、

だれもが不可能だと思っていましたが、

元福井新聞記者で政治評論家のM氏らの力添えにより、

並みいるライバルを抑えて実現したのです。

このことを知った和歌山の梅関係者は、福井県に先を越されて、

「どうして、なんで福井が」と悔しがったとの逸話が残されています。

「始めて発するものは人を制し、後れて発するものは人に制せらる」

解体新書を翻訳出版した杉田玄白の心意気を彷彿とさせる

画期的な出来事でした。 

昭和五十九年五月、新国技館こけら落としの夏場所千秋楽の土俵上で、

中川知事(当時)から横綱千代の富士に、優勝トロフイーが贈呈されました。

福井梅は晴れの土俵入りを果たし、館内から割れんばかりの拍手が沸き起こり、

この様子はNHK・TVで全国に届けられ、大きな反響を呼びました。

放送時間内での放映が叶い、関係者はほっと胸を撫で下ろしました。

現在は、知事賞に代わって福井ウメ振興協議会が表彰を引き継いでいます。

                         

                       若狭の語り部 網本恒治郎