酒井忠勝侯の墓

2015年7月発行

酒井忠勝侯の墓  (長英寺・太良庄)

  酒井忠勝から忠禄まで十四代二百三十年余にわたって、

若狭国を治めた歴代藩主の菩提寺が空印寺(小浜市男山)であることは

よく知られていますが、忠勝の墓がもう一つ市内の長英寺(太良庄)に

あることは、一般的にあまり知られていません。


 忠勝の死後、国元の家老三浦帯刀好正(知行千五百石・妻は忠勝の妹。

空印寺の酒井家墓所の一角に、三浦家に嫁がれた姫君の五輪塔がある)が、

酒井家を守っていくとの思いから、自分の領地である太良庄に寺を建て、

忠勝の法名「空印寺殿傑傳長英大居士」から長英寺と名付けました。


 三浦家は、忠勝が武州川越から若狭へ転封となった時に、

お目付家老として来た家柄で、帯刀の父三浦七兵衛義也は

忠勝の父忠利と忠勝二人に仕え、二千二百石の知行を得ていました。


 長英寺本堂背後左手中腹にある忠勝の墓の横に、

三浦家先祖代々の墓があり、一般の墓地と区別されています。


 三浦家は、現在に至るまで忠勝の墓所を守っています。

小浜市郷土研究会会員 網本 恒治郎

日本遺産認定第1号