
西依成斎は、京都の「望楠軒」や
小浜の「順造館」で崎門学(朱子学)を教授した儒者です。
当時から健脚健啖といわれ、
京都から小浜まで歩いて通いました。
七十歳の時、九代目小浜藩主酒井忠貫候の参勤交代に同道し、
八十四歳には吉野の花見に行きました。
背丈は六尺(一八〇㎝)、腹は布袋のようだったと言います。
年末は小浜の墨山の所で過ごすことが多く、
餅を一〇個食べた話や、
ジビエを食し、使用人に逃げられた話もあります。
性格は「厳にして温」といわれ、厳しさの反面、
大らかで周りの人に優しい人のようでした。
冗談も言って肥後からお手伝いに来ていた子女に
「ほらまたバッテンが出た」と、笑い合っていたエピソードもあります。
成斎は、常に筆を持って手習いをしていました。
その結果、「古勁奇骨」と評され「一家の書をなす」と
最高の評価を得ました。
書には年と名前を書いてきましたが、
九十五歳から「九十五翁西依周行書之」と「之」を
わざわざ付け足したものが六点見つかっています。
「晩節」を大切にした成斎、
老いぼれて、みっともない老人にならないように
殊の外意識したのでしょう。
岸本一筆

