2013年2月発行
旧ろう、香川県さぬき市志度の平賀源内記念館を見学する機会がありました。
源内は、エレキテルの発明などの発明家、本草学者、画家、蘭学者など、
江戸時代中期にさまざまなジャンルで才能を発揮し、奇才と言われた人です。
記念館には、その活躍の足跡を示す発明品をはじめ、
著作物や書簡が展示されていますが、
その中で源内と杉田玄白というコーナーが目にとまりました。
二人は、ともに西洋の進んだ文明をいかに取り組み、
いかにして取り入れるか悩み語りあった親友でありました。
玄白は、「蘭学事始」で源内について、
「和蘭実測究理(オランダじっそくきゅうり)のことどもは驚きいりし事ばかりなり」
と記しています。
解体新書の挿絵は、源内から蘭画の技法を学んだ秋田藩士の小田野直武が描いており、
源内の陰からの協力を見過ごすことはできません。
また、展示コーナーに中川淳庵の名前がありました。
それは源内がオランダの寒暖計を江戸で見せられた時、
その構造や製法をその場で言い当てたのですが、
そこにいたのが玄白と淳庵であったと書かれています。
あふれる才能を持った源内ですが、
ふとしたことから人をあやめ囚われの身となり牢屋で亡くなりました。
玄白らの手で台東区の総泉寺に埋葬され、
その墓碑に玄白は「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」と刻みました。
玄白が源内の死を悼んで、
平賀家の入婿(権太夫)に宛てた手紙も展示されています。
源内は長崎をはじめ、江戸、秋田などその行動範囲は相当なものがありますが、
若狭の玄白、淳庵の二人との絆の太さをあらためて知った旅でした。
「すみれの会」会員 網本 恒治郎