佐久間艇長は明治の人です。
富国強兵を進める明治政府、
そんな時代の流れの中で佐久間勉は軍人を目指します。
ひ弱だった少年時代には、妹の死に衝撃を受け、
体を鍛えなければいけないと毎日木刀を振り努力する姿、
十二㎞離れた高等小学校へ毎日歩いて通う強い意志などは、
福井中学小浜分校(現在の若狭高校)へ入学してからさらに、
堅固なものになったと思われます。
こうした少年時代の意志の固さが、佐久間艇長の人間としての成長に
つながったものだと思います。
第六潜水艇が沈没した事故により、
佐久間艇長の書かれた遺書の中にある人間としての暖かさは、
冷え切ったように思える現代、
大切にしなければいけないもののように思います。
軍国主義につながるとして佐久間艇長を否定する人たちもいますが、
遺書の最後に書かれた部下の遺族への思いは、
あの状況の中で、簡単に書けるものではありません。
これこそ人間としての佐久間勉の価値観がもっともよく表現されているのでは
ないでしょうか。
佐久間艇長研究会会員 玉井常光