悠久の時を超え人びとのロマンを駆り立てる小浜市の宣伝文句
『海のある奈良』の名付け親は、
昭和二十六年に小浜市が誕生すると同時に、
内外海村役場から小浜市役所観光課勤務となった竹中皆二氏で、
若狭国宝めぐりも企画実施されていたことは、案外知られていません。
「世の中が戦後の荒廃からようやく立ち直って、
人びとの暮らしにも多少のゆとりが出て来た頃だった。」と、
御子息の敬一氏がその著『若狭の海幸山幸物語』の中で、
紹介されています。
若狭に息づく古い文化やすばらしい自然が見事に表現されており、
言い得て妙とはこのことです。
内外海半島の付け根、阿納尻で雑貨店「いるかや」を夫婦で営み、
近郷の十七社の神職を務め、
また、歌人としても現代短歌の先駆者若山牧水の高弟の一人として知られ、
その詠風は世に高く評価されるなど、
多彩な才能を持った方でした。
現在もその姿を留める「いるかや」の隣接地には、
かつて地区のシンボルであった樹齢五百年の老松を詠んだ歌碑が、
門下生や地元民によって建立されています。
「いるかや」の屋号は、
阿納尻の入江にイルカの大群が〃テングサ〃を求めて、
押し寄せて来たことに由来しています。
時代が昭和・平成・令和と移っても
色あせることのないキヤッチコピーとして
「御食国若狭おばま」との二枚看板で、
これからも人々の心を引き付けること間違いなしです。
若狭の語り部 網本 恒治郎