鯖街道「針畑越え」の見所Ⅱ

2016年7月発行

昨年四月に日本遺産第一弾として認定された鯖街道であるが、

今ひとつ認知度が低いと新聞は報じている。(平成二十八年四月二十四日福井新聞)

 一人でも多くの人が鯖街道、

中でも上根来から近江への「針畑越え」に関心を持って頂けるよう

この道のことを書いてみよう。

 当然のことであるが、「鯖街道」という道が存在したわけではない。

昭和四十年代半ばまでにそのような言葉を聞いた記憶はない。

当時京都方面から若狭へ越えて来る道は若狭越えであり、

若狭側から越える道は京道であった。しかし、

若狭から近江へ越す峠道は昔から存在していたし

戦前小学校へ行く前の小さな子供が

おばあさんに手を引かれて針畑越えをした話を聞いたことがある。

また戦後、耕耘機が普及する前までは農作業を助けるための役牛が

博労に引かれてこの坂を越えたという話も聞いた。

道は結果的に京都まで続いてはいるが、

本来は集落同士を結ぶ生活のための道であったのだ。

 さて、この坂の上部に壕のように

深く掘れた古道部分が長く続く個所がある。

我々は深道(ふかどう)と呼んでいるが、

長い間多くの人が歩いた結果山の土が掘れて

そこをまた雨水が走ることによりさらに土がえぐられ、

道は益々掘れてしまったという事なのだろう。

ただ、平坦な山道ではなく、大きくU字形に掘れているこの道を見ると

針畑越えの道が歴史の道でもある事を実感させてくれるのである。

鯖街道歴史研究会 杉谷 長昭