佐久間艇長と第六潜水艇

 2012年3月発行

 明治43年4月15日第六潜水艇が山口県新湊沖で遭難してから百年余の歳月が過ぎた。
 佐久間艇長の出身地若狭町では毎年遭難の日に、記念碑「沈着勇断」のある広場において、佐久間艇長遺徳顕彰祭が行われている。
 この式典には、若狭町の人々、地元小学校の児童、県外からの参列者や、舞鶴海上自衛隊隊員の参列もある。
 隣接の佐久間記念交流会館には艇長の遺品が数多く陳列され、遺品(情景)を目にされた人で「感極まる」思いを持つ人も多い。
 佐久間艇長が、今なお我々に感動を与えるのはなぜか。考えてみたい。
1.潜水艇が海底から引き上げられたときの内部の状況
 艇長を含め14名の乗組員はそれぞれの部署を離れず息が途絶える瞬間まで浮上するため修復に全力を尽くしたこと。(諸外国の潜水艇の事故では、皆我先に脱出しようとハッチの周りに折り重なって亡くなる事例が多かった。)
2.佐久間艇長の残した手帳
 気圧が高まり苦しい呼吸の中、小さな窓ガラスから差し込むわずかな明かりを頼りに遺書を書き綴ったこと。
 ①潜水艇を沈め、部下を死なせてしまう事への謝罪。
 ②沈没の原因と沈没後の処理への配慮。(潜水艇の研究、発展が
  阻害されないよう願う)
 ③公遺書として、部下の遺族の今後について配慮してほしい旨を
  陛下に直訴。
 ④上官、先輩、同僚、恩師など名を書き連ねて惜別の意を表して
  いる。
 日本人としての生き方は、最後まで自分の役割を果たそうとする精神、冷静な判断、思いやりなどである。
 来館者の中には、企業経営者も多くおられるが、マネジメントを行うにあたって「人間、佐久間精神」を学ぶためだろう。
 艇長の行動、生き方、「報恩、感謝」「思いやり」などの心を再喚起し、その志を未来につなげていきたい。


                                   佐久間艇長研究会 山本 和男 

平成24年度 佐久間艇長遺徳顕彰式典
 趣 旨  わが郷土が生んだ佐久間勉艇長は、明治43年4月15日に

山口県新湊沖における第六潜水艇の半潜航訓練中に殉難された。
その殉難の日に、佐久間艇長の遺徳を偲び、その人となりを広く

江湖の人に伝えるために顕彰式典を開催 

1 佐久間艇長

2 平成24年度 佐久間艇長遺徳顕彰式典 式次第

3 国歌斉唱  「君が代」

4 「艇長の伝記発刊あたって」 佐久間艇長伝記編集委員 吉田久吉

5 「~沈勇の人 佐久間勉~ 十二時四十分ナリ 」
   佐久間艇長の胸の鼓動は止まったが
   百年を過ぎて今もなお   世界中の人々の胸に
   感動の時を刻んでいる   命の灯を燈して書いた   最後の一行
         十二時四十分ナリ  

6 弔銃発射  「命をすてて」   海上自衛隊舞鶴音楽隊

7 弔銃発射  弔銃隊

8 遺徳顕彰祭もてなしの会14名による艇長カレーの振舞い 大好評!
            写真提供   前若狭町教育委員会 髙橋久直 

9 沈着勇断  元三方町佐久間艇長顕彰会会長 小堀源治郎